パネルディスカッション

2001,4,パネルディスカッション

以下の文章は当日の日本語の部分のみをテープ起こしした物です。状況説明が無い部分と英語と日本語が入り乱れた当日の実情から「分かりやすい記録には程遠いもの」ですので申し訳ありません。そこのところをご理解された方のみ読み進んでください。イライラしている方はきっともっとイライラしてしまうので体調のいいときにもう一度お越し下さい。誤字脱字なども多々ありますがどうぞお許し下さい。

舞台挨拶とコメンテーター・通訳・通訳アシスタント紹介・以下冨田談

本日はようこそお越し下さいました。冨田です。(拍手)ありがとうございます。今日はパネルディスカッションという事でアメリカから素晴らしいお客様を呼んでいます。今日アシスタント、私の英語がなんちゃって英語なんで(笑)帰国子女のYOKOちゃんに手伝ってもらいます。「(YOKO)よろしくお願いします」よろしく。

それではまず今日のゲストの方、早速紹介していきます。まずですね、ここの劇場に非常に慣れている方で、私もすごくいろいろと勉強させていただいてる方なんですけれども、乗越たかおさんです。「イェイ」(拍手)

で、彼は私たちダンサーにとっても本当この先もっともっと必要になってくるすごい偉大な方で、今だと戦前戦後の日本のダンサーの方達すばらしい方達多かったんですね。でも今、私達知らないじゃないですか、そういう方達の事を。でもその人達の活動とか作品の事とかを発掘してくれてるんですね。で、名前も『ニッポンジャズエイジ発掘隊』という長い私が覚え切れなかった名前なんですけれども、素晴らしい仕事をしてくれてます。あの、これからもぜひいろいろなダンサーを発掘してまた残していって下さい。その場その場で無くなってしまう芸術なんで、本当に乗越さんのような方がいてくれるとすごく嬉しいなと思います。で、本も幾つか出してらっしゃいまして、中でもダンス関係のでは中川三郎先生の本を二冊、そして、川畑文子さん、ブロードウェイに進出した日系人の方なんですけど、その方の本。そしてバレエですね、熊川哲也さん、今、大人気ですけれどもあの方の本を出してらっしゃいます。ダンスの本ぜひ皆さん買って下さい。ものすごく、あの〜、バンバン売れるっていう感じじゃないですよね。ダンスの本って。

「(乗越)そうですね(苦笑)。え〜、着実に売れ続けるという。」

こういう性質の本なんですよ、やっぱりダンスの本って。でも、皆さんが買ってくれる事によってダンスのブームがどんどんどんどん盛り上がっていくと思うんで、ぜひ今日の方は一冊ずつ買うようにして下さい。(笑)

それとですね、近いところではMXテレビでそういう発掘した人達のインタビューシリーズを月に一回放送されるという事で、これはすごくお楽しみな番組になると思うんで、え〜、いつから始まりますか?

「(乗越)5月の下旬から毎月一人ずつ変えていって、一回5分程度だと思いますけど頑張っていきます。」

最初の回はどなたですか?

「(乗越)中川三郎さんをやってみようと思ってます。」

素晴らしいタップダンサーですね、ええ、そしてあと『青空』というミュージカル、これは先ほどのかわばたふみこさんの本を題材にしたミュージカルですね、これが再再演という事で。

「(乗越)はい、東京では7月に博品館劇場で、その他神戸とか全国80ステージやりますのでよろしくお願い致します。」

ぜひよろしくお願いします。それとまたフジテレビの方にも出られるという噂が。

「(乗越)ええ、これはフジテレビで朝やってる特ダネという番組で、その中川さんの事をしゃべりに明日収録に行ってきます。で、いつ放送かはまだちょっとあれなんですけど近いうちだと思いますので。」

じゃ、テレビ欄を皆さんよくチェックして待っていて下さい。では今日はですね、さっきもちょっと話したんですけれども、ちらっと映像見たら素晴らしいんですね、ちょっと見ただけでも。だからもしかすると私達は舞台上の観客になってしまうかもしれない。(笑)

「(乗越)楽しませていただきたいと思います。」

たまにはいろいろな質問をぜひして下さい。

では、席の方よろしくお願いします。(拍手)よろしくお願いします。

それではいよいよアメリカからお呼びするんですが、私のなんちゃって英語では本当に不安なので素晴らしい通訳の方をお呼びしてます。同じリードさんです。本人達はカズンだと言ってます。いとこだと言ってます。で、僕達とっても良く似てるでしょって言って、でも実は白人と黒人なんですね。そういうギャグに慣れてない私はどうやって対処したらいいか、かなり最初のころは迷ったんですけれども。ウィリアム・リードさんです。(拍手)彼はもう日本に二十年近くいるという事で自分で紹介してもらいましょう。

「(ウィリアム)え〜、皆さんこんばんは。ようこそいらっしゃいました。先ほどかおる先生にギャグを言い続けているという、あまり言ってるから自分でも本当かなと思い始めたんですけれども、ロバートさんも私もたまたまリードで遺伝子でどっかで繋がってるのかなぁと。呼吸がよく合うので、思い始めた次第です。今日の通訳を務めさせていただきますウィリアム・リードです。よろしく。」(拍手)

ありがとうございます。ではリードさんにはそのまま居ていただいて、リードさんのマイクを、真ん中のマイクを持っていていただこうかな。今日はあの、全てが即興という事になってますんで、では本日のゲスト、素晴らしい方です。セントルイスでもタップダンスフェスティバルを十二年前からずっと続けていらして、タップダンスを文化としてしっかりと継承してるという事でアメリカのタップマスター達、例えばジミー・スライドとかニコラスブラザーズ彼等もすごく彼の事を信頼して、今日例えばあの、皆さんに見ていただく映像もそのジミー・スライドとかニコラスブラザーズが直接彼に、これはコピーはしないで欲しいんだけれども、でも文化として継承していく為に君に預けるよって言って渡した映像が中にたくさん入っています。それだけ非常にタップマスター達からも信頼されている素晴らしい文化の継承者です。ロバート・リードさんです。どうぞ!(拍手)(爆笑)

リードさん、ここからはもう全て彼に任せてありますんで、楽しんでいって下さい。

「(ロバート)ありがとうございます」「サンキューベリーマッチ」

以下「」内ロバート談ウィリアム訳

「また僕です。」

「皆さん日本でもお馴染みのナショナルタップディというのはアメリカでビル・ボージャングル・ロビンソンの誕生日5月25日にお祝いするんです。」

「ビル・ロビンソンさんは国に認められる祭日になるくらいのタップダンサーとしての第一人者であるだけじゃなくて、人間性も素晴らしい人でした。」

「後ほどもっと詳しくビル・ロビンスさんについてお話しますが、最初の三つの映像にビル・ロビンソンさんが入ってます。」

「ビル・ロビンソンさんがタップの神様、音楽で言えばバッハのような存在ですけれども、どのくらい素晴らしいかっていうと、足を例えば、左右の一歩入れ替えても全くわからないくらいで、素晴らしい才能がありました。」

「よくタップダンスというのはショーみたいなもの、要するに見せるものだというイメージがありますけれども、昔のタップのコンテストというのは音で聞き分ける、つまりステージの下に審査員が入っていって耳で完全に良し悪しを判断してたわけです。で、ビル・ロビンスさんのタップが非常に軽やかであまりに聞き心地が良くて審査員がよく居眠りに入ったそうですね。聞いてるだけで。」

「まず、四つの映像をご覧にいれますけれども、最初のはビル・ロビンソンさんとシャーリー・テンプル。これ、有名な映像ですけれども、シャーリー・テンプルが小さな女の子で、白人で初めて黒人と白人が同じ、ま、映画ですけれども同じ舞台に出れたという非常に歴史的に初めての事でした。それもし大人の白人の女性だったら許せなかったっていうか、法律があるぐらいで、珍しかったんですってね。」

「で、人種差別、今だいたい人種差別いけないとみんな思ってるんですけれども、その当時ではそれが当たり前でした。どのぐらい酷いかというと、例えばボードビルのステージには黒人のエンターテイナーが最低二人必要です。これ、法律というかルールでした。これ、なんで二人必要かというと、黒人は脳を普通の白人の半分しか持ってないから二人合わせて初めて一人前っていう侮辱っていうのも兼ねて、それが普通でした。ところでビル・ロビンスさんが初めて一人前、一人として出たのはそれも非常に画期的な違いでした。」

「最初の映像も階段の昇り降りを、タップしながら階段の昇り降りをシャーリー・テンプルと一緒に出てるんですけれども。二つ目の映像はディキシー・アナーという1930年にできたフィルムですけれども、その映画の特徴の一つとして、最後の三十分がカラーでした。それ以前はずっと白黒でした。で、カラーをその当時は実験的に使ってたそうです。」

「三つ目の映像もやはりビル・ロビンスのトレードマークとしてのステアダンスが入ってるんですけれども。四つ目はエレノア・パウエル。有名な白人の女性のタップダンサーがビル・ロビンスさんの友人でいましたけれども、顔を黒く塗るという習慣がありました、ブラックフェイスという。その当時、今でもそうですけれども黒人にとってそれが非常に侮辱でしたけれどもエレノアさんの場合には友人であったと。それで非常に尊敬しあってたから、まあそれを許せた。ビル・ロビンスさん本人もそうだったし、それが四つ目の映像。エレノア・パウエルがステアダンスを。」

「皆さんご存知のようにタップダンス、ダンスにはいろんなスタイルいろんな解釈の仕方がありますけれども、リズムタップというものの特徴はやはり音楽を作る事なんですね。見せるタップではなく聞かせるタップが特徴なんです。目をつむっても十二分楽しめるというのが特徴なんです。ストーリーを、ようするに足で語るというのも一つの特徴なんです。ストーリーには必ず、起承転結が全部、ストーリーラインがあってつまりどういうメッセージを伝えるか、それがただ聞いて楽しいだけじゃなくて実際にストーリーも含まれてます。」

「世界の歴史的にも様々な文化の中で必ずパーカッション、あの、ドラムとかがその文化に入ってるんです。」

「リズムタップダンスのルーツはいろんな説があるんですけれど、実際に真実は一つ。それは奴隷として黒人、大勢の人がアメリカに無理やりに連れてこられて、ドラムでもっていろいろコミュニケーションをとってったんです。でもそれが白人のスレイブオーナー達がプランテーション、牧場があってその間にドラムでメッセージを送ってるんじゃないかと。それで革命を起こすんじゃないか、何か反抗するんじゃないか、それでドラムを全部取り上げられたんです。そうするとコミュニケーションのツールが無くなったと思ったら、やはり遠くまでは聞こえなくても体を叩くとか足で地面を叩くとかそれによってちゃんとストーリーテリングができると。それがリズムタップのルーツなんです。」

「もしタップを聞いて何か自分に語りかけてると思ったら、それがようするに遠い昔のリズムタップのルーツにきっと繋がってるでしょうと。」

「まず楽しい映像を四つご覧にいれます。」(拍手)

映像

「あの、シャーリー・テンプルと一緒に出ている映像の中でビル・ロビンソンさんはその当時五十歳以上でした。で、ロバートはそれより若いですけれども、楽屋からここに来るまでもうひいひいしてるくらいですから非常に感心してます。」

「この次の映像ご覧に入れますのはジョン・バブルス。リズムタップのお父さんといいますか、ヒールを初めて、ビル・ロビンスさんがずっとトゥで踊ってたんですけれども、ヒールを初めていれたのはジョン・バブルス。このように踊っていってます。」

「で、ロバートさんのおじいさん、フォーステップブラザーズの中の一人がジョン・バブルスからこのステップをもらった。」(ステップ)(拍手)

「この次のシークエンスの中にもペグレッグベイツというダンサーがいます。で、ペグレッグというのは偽造の足という意味ですね。本当に片足しかなくて素晴らしい踊りをする。」

「で、ペグレッグベイツが十二歳の時に、仕事をしたくて嘘ついて十七歳って言って、ある綿を加工する工場の中に入って、足が滑ってその機械の中に入っちゃったんですね。で、膝までもうぐしゃぐしゃになっちゃって、で、指二本失ったんです。十二歳のときに。」

「で、その当時は黒人は病院に入れなかったんだそうです。そうすると工場から友達がおんぶして自分の家に連れてって、お母さんの台所、食卓の上で足の断絶の手術をやったそうです。」

「膝より下の所で切ったのが非常に良かったんです。というのは膝がまだ使えるから踊りはできた。もし膝より上を切ってしまえば全然踊りはできなかった。」

「これ、悲しいような話ではあるんですけれども、実は嬉しい内容にもなるんです。つまり、我々も何か制限してもらってる人、だいたい誰一人それ抱えてるんですがペグレッグベイツの踊りを見ますとですね、どんな制限があってもなんでもできるというインスピレーションにもなります。」

「で、野球では三振でアウトですよね。彼がやっぱり生まれながら三振でアウト、つまり貧乏であったと。黒人であったと。それから足に不自由があったと。初めからもう全部アウトですね。それで一つにも負けずに素晴らしい人生を大成功しながらおくったんです。」

「ああいう、ようするに不利な立場に生まれたのに、世界のトップに成長してきてずっとプラスの心で生きてきたんですね。ロバートさんの非常に親しい友人でもあったし、年齢が違うからロバートが自分の息子のように思えたらしくて、何故ならばロバートがタップの真実とタップの昔からの一番いい様子を守ってるし、将来に繋げていく努力をしてるからです。」

「去年亡くなりましたけれども、それまでにロバートさんのセントルイスで毎年行っているフェスティバルにも参加してたし。それからこれから二つの映像をご覧にいれます。ペグレッグベイツの二つの映像をご覧にいれますが、その中で素晴らしいものを。その中の一つは五十歳以上でした。」

「もう一つ三人で出て行くのはバリーブラザーズという三人の有名なタップダンサーでフラッシュタップ、アクロバテックスを交えたタップのスタイルであります。」

「彼らが素晴らしいダンサーという事はこの映像でわかりますけれども、彼らのベストは残念ながらフィルムに残ってないんです。意図的に残さなかった。映画のディレクターが何人かいます、つまり他のビッグスターが、それあまりによくやるとその有名な白人のビッグスターが主人公じゃなくなっちゃうから、わざと彼らのベストを意図的に出さなかったそうです。」

「我々が上司でやってると同じで」(笑)

「でもMGMのスタジオで同時進行でだいたい五つぐらいのフィルムを作ってったそうです。ところでバリーブラザーズが出るという噂が広まったら、あとの四つ全部仕事を休憩してみんなそれを見に来てたそうです。」

「タップは誰のものではなくて、ステップは共通なんですけれども、実際に踊ってるとそれを自分のものにしなくちゃいけない。つまり非常に個性に溢れている芸術の一つです。」

「タップはいいアイディアがあると思ったら、それを必ず自分のものにして、ステップを盗むという表現もありますけれども、ロバートが日本に来てジャパニーズタップの面白いステップを幾つかもう盗んできてるんです。お土産として持って帰ります。」

「もしどっかで見たような、自分で作ったステップ、と思ったら、それが自分のステップであるからです。盗まれたんです。」

「一人一人のスタイルがあるんですね。ただそのスタイルがわけあって、分け合いながら学んで、教えながら学んでるし、それで個性が更に深くなります。」

「ありがとうございます。」

「(ウィリアム)サンキューベリーマッチ」(笑)

映像を見ながら『』ウィリアム説明

『ロバートのおじいさん。この人じゃないですね。はっはっはっ。(笑)

これがロバートのおじいさんですね。今年の夏のフェスティバルにもお見えになります。これもフォーステップブラザーズね。彼のおじいさんのが入ってます。この映像はリハーサルだそうです。本番ではなく。全ての動きがリズムにオンタイムです。

それは…。(ウィリアム爆笑)

OK、カットカット。』

「最後のは本番ではなくリハーサルです。」

「今の映像、最後の映像は朝の午前の五時にやったそうで、ちょうど戦争当時でフィルムが非常に不足してたそうですね。ですから普通そういうの保存しないんですけれども、最後のひっくり返ってスピリッツで終わったシーンもあって、ちょうどトラックが離れた時に二人が飛び乗ったっていうのがあったから保存になったんです。」

「この次の映像にコンドース兄弟、コンドーズブラザーズというのがあります、ギリシャ人の二人です。移民でアメリカに行って、子供のころからルイ・アームストロングを見ながらいろいろリズムを覚えたんだそうです。」

「それにチャーリー・パーカーとディジー・ギレスビー、ビバップのミゼッションからも習ったそうです。」

「スティーブ・コンドスがそう言ってたそうで、子供のころからそういう影響があったと。」

「ハーレムの中にフーファーズ、つまりタップ、リズムタッパーという意味です、フーファーズクラブという所があったんですけれどもだいたい白人は立ち入り禁止でした。ところで、スティーブ・コンドスや数人の中の白人がそこに立ち入りを許されたんだそうです。」

「毎日八時間から十六時間くらい稽古をしたそうです。」

「これはビル・ロビンスのウィングという。(ステップを踏む音)拍手は最後に、待って下さい。何故かというと最後にやるのはちょっと自信が無いので最後に拍手が欲しいと。(笑)」(ステップ)

「今の4から5の音が出せるんですけれども、ニックコンドスが片足で5音、つまり飛んでタタタタタッと5音を出せる。世界であと一人しかそれが出来ない、彼の息子さん。」

「タップには制限がない、つまり人種的にも国籍的にも体型にも体重的にも、本人が自分を見たらわかりますけれども、制限がないと。この次の映像の中にいろんなスタイルをご覧に入れますけれども。五つくらい今やりますけれども、彼がカットというまで。いろんなスタイル、いろんなやり方、見てからちょっとその違いについてお話します。」

「(ロバート)ありがとうございます。」「サンキューベリーマッチ。」

映像

「今の二人はパタサンとジャックソン。たくさんの映像を選んでいただいたそうですけれども。全部を最後まで見せられるかどうかはわかりませんが。」

「時代によって環境によってタップがどんどん進化してきたのは、だいたいこれで見てわかりますでしょうか。」

「次のグループではチャーリー・パーカーのオネソロジィという曲に合わせてラップ・ブラウンが踊ります。」

「それでニコラス・ブラザーズの若い頃の。(笑)それで、白人のバッドホワイトボーイズという歌なんですけど、黒人の英語ではバッドというのはグッドという意味です。」

「もう一人レゴマニアという白人で足を非常に巧みに入れ替えたりする、こういう数人の、タップの歴史の中に、数人しか白人でフーファーズクラブに入れなかったんです。つまり白黒で判断してるんじゃなくてちゃんとリズムがわかるかどうか、それが入る条件の一つでした。」

「ブロードウェイでこんなような動きを見たことがあります?(ステップ)ミュージカルの中とか。手をこういう風に使って、一人が低く。トレンチャーズという。ステップの名前はトレンチャーズ。それが本物のトレンチャーズ。先ほどブロードウェイでやってた手だけのトレンチャーズではないと。」

「二百年、三百年のタップの歴史の中でたくさん言わせてもらいたい事があるんですけれども、非常に時間の制限の中で十分に説明できないのを一つお詫びしたいと思いますけれども。」

「(ロバート)ありがとうございます。」「サンキューベリーマッチ」(拍手)

映像を見ながら説明

「ニコラスブラザーズ、去年の夏、日本から十五人ぐらいの日本人のタップダンサーと私も一緒に行きましたけれども、フェアドニコラス、今もちろんもっと年いってますけれどもフェスティバルに参加しました。そのクラスみんな受けました。フェアド、右側にある去年の夏。」

映像

「カット」「アメリカでは百五十年から二百年前からタップは非常に洗練されたレベルまで出来てるんです。」

「その非常にアメリカでは長い歴史があるだけ、その中でやはり仕事を得るのに非常に他のどこのチームもやってないような特技をやっぱり磨かなくてはいけないんですね。で、それぞれみんな違ったようなスタイルでやったり。」

「で、1920年代にもやっぱりブレイクダンシィングと呼ばなかっただけでブレイクダンシィングがありました。で、最近マイケル・ジャクソンが作ったと思っても、やはりそれぞれルーツがあって、歴史があるんです。」

「マイケル・ジャクソンのムーンウォークも20年代やってたんです、すでに。」

「フィル・ベリーという人が特にやってたんです。」

「マイケル・ジャクソンがムーンウォークの名前を付けただけで、そのステップは昔からあるんです。」

「ですから映画に出たい者はやはりそのどこにもないような、英語でギミックというんですけれども特技を持ってないと映画に出れなかったんですね。あと、三つぐらい短いのをお見せして、それでだいたい三十分程度、皆さんからの質問等ロバートにイントラクティブにお話したいと思います。」

「(ロバート)ありがとうございます。」「サンキューベリーマッチ」(笑)(拍手)

映像

「カット」「彼が持っているビデオを全部見せたら一週間くらいかかるそうです。」

「今から打ち合わせしますのでどうぞ楽にして下さい。」

「今から皆さんの質問を。三十分ほどありますけれども、皆さんと話したいので、もう、何聞いてもいいから。YOKOさんが皆さんの質問を通訳します。」

「(YOKO)手を挙げていただければマイクを持っていきますので、どなたか質問のある方は手を挙げて下さい。」

以下『』客席からの質問(通訳アシスタントYOKO) 「」ロバート答え(通訳ウィル)

★『今でもその古いスタイルを習える場所は?どこに行ったら習えるんですか?』

「セントルイスに行っていただければ」(笑)

「ロバートさんが毎年夏にタップフェスティバル、一週間ぐらい8月の上旬にやります。チラシもありますけれども。今年もツアーを組んでおりますが、そのタップフェスティバルに、今ご覧に入れたタップマスターがけっこう古いスタイルを。80歳代とか70歳代の人、けっこうロバートのフェスティバルに毎年来ますので直に習える唯一の機会だと思いますけれども。」

「(YOKO)他にございますか?」

★『フレッド・アステアやジーン・ケリーというホワイトダンサーがいるわけですけれども、私はタップダンスをメインとしてないので、その辺をどういう風に彼が評価しているのかというのを聞きたいと思ってますけれども。』

「フレッド・アステアもジーン・ケリーも素晴らしいダンサーではいましたけれども素晴らしいタップダンサーというのはちょっといい難いですね。」

「ジーン・ケリーの弟さん、フレッド・ケリーが昔、もう亡くなりましたけれど、彼のフェスティバルにいつも来てたんですけれども、彼らがやはり直にビル・ロビンスに習ってました。」

「フレッド・アステアも新しいアイディアを必ずジョン・バブルスまたはビル・ロビンスからいつももらったんです。」

「それも彼ら本人がテレビのインタビューで言ってたし、その映像を彼が持ってるんです。」

「映画の中で見ますと、けっこういろんな道具を使ったりカメラのいろんな角度で工夫したり、映画の中で見ると素晴らしく見えるんですけれども、そういうの全部無くして、ただ単に彼らのタップだけを見てるとロバートさんはそんなに感心しないです。」

「ただ総合的なダンスの雰囲気と、ダンサーとして非常に高く評価はしますけれども。」

「彼らはだいたいミュージカルの中の一つの飾り、あるいはミュージカルのストーリーの中の一環としてタップを使っていたんですけれども、タップのフィーリングとかソウルを再現するのは目的じゃなかったんです。」

「タップのルーツを知らないで、又それを知ってもそれを尊敬しないでリズムタップを作ろうと思っても無理です。ところで、タップは誰のものでもないと先ほども言いましたけれども、ロバートはそういう意味で、世界を回って本当に五、六カ国いつも回ってタップを教えてるんですけれども、非常にルーツ、タップのルーツを重視するんです。」

「ロバートはいろんなタップのスタイルが好きですけれども、ルーツの要素が入ってなければやっぱり納得しない。例えばバレエタップとかブロードウェイタップ、いろんなスタイルがあるんです。それぞれもう素晴らしい表現の方法いくつかあるんですが、どこかにやっぱりそのリズムタップの元が見えてこない又は聞こえてこないと納得しないです。」

「映画に出ているから歴史に残っているタップダンサー数々いますが、それも氷山の一角で本当にもう何千人も何万人もその裏で全然名前も知られてない、というのは存在してたんです。今でもいます。」

「先ほど世界を回ってタップを教えている、つまりフィンランドとかドイツとかブラジルとかしょっちゅう海外に教えに行ってるんですが、今回日本に来て、非常にレベルの高さ、洗練性と皆の素直さ、非常に高く評価します。」

「彼のビジョンの中に、タップの歴史を非常に大事にして、タップのルーツは黒人の文化の中にあるんですが、タップの将来は別に黒人の文化だけじゃなくて世界の文化に育てあげたいんですね。そのためにいろんな国に回ってるんですがその中でですね、非常に、今週毎日ワークショップを教えてるんですが、皆さんが非常に素直でステップを覚えるのも早くて、タップに対する敬意を非常に心から感じます。ですからその世界のレベルに育て上げる為にどの国が一番先にそれが再現できると感じたら、それが日本に違いないとロバートが言っています。」

「日本の文化とか言葉についてそんなに詳しくないんですけれども、非常にソウルというかスピリッツを感じます。」

「じゃ、他に質問…。」

★『すいません。新鮮な質問なんですけれども、たぶんこのいらしてるお客さんっていうかいらしてる方々の中で数名の未経験者、タップの未経験者としてちょっと質問したいんですけど。先ほどから五十歳という年が出てますね、踊ってる方で五十歳を過ぎてる映像がありますという話を聞いてるんですが、えーと、我々も五十を過ぎてですね、実はあの〜、ダンスというダンスのベーシックが一切無くてですね、基礎が。だけど、日本においては団塊の世代と呼ばれるですね、非常にマーケットシェア的には豊かな所なんでございますが、その我々タップ未経験者の、初めて五十過ぎてから習う我々にどうか夢と希望を、わずかばかりの幾ばくかの夢と希望を頂けたら来た甲斐があったなと、かように思うのでありますが宜しくお願いします。』

「タップには別に年齢の制限、いつ始めても、正しくやれば出来るんですね。というのは体の中にリズムがあるからです。」

「人生はリズムで出来てるんですね。呼吸一つにしてもリズムで出来てるんですね。歩く時もそうです。」

(歩く)「こういう風に歩かないで…。」「心臓の鼓動もそうですし、夫または奥さんのイビキもリズムで出来てるはずです。」

「太陽の動きや月の動きは全てリズムで出来ている。」

「ただ我々、文化文明が進んでる中でそのリズムが狂ってるっていうか、気づいてない所があるんです。非常に心を閉じた人が多いし、道を歩く時に皆他人同士で警戒したり挨拶もしないで。なぜかおはようございましたっていつもなるんですけれども、挨拶をするのは別に自分の何かが減るわけではないから。」

「ロバートのクラスの中にルール、少ないですけれども幾つかあります。まず腰に手を掛けるの禁止、腕を組むの禁止、手をポケットに入れるのも禁止、後ろに組むのも禁止、というのは自分のリズムを邪魔するからです。」

「ロバートは二十五歳でタップを初めて習い始めたんです。」

「もしタップを習いたいっていう、つまりタップの夢は自分の願望で決まっちゃう、年齢ではなくて。」

「数々のダンスの種類の中でだいたい年をとれば少し落ちるっていうのは一般的な考え方ですけれども、タップだけが年をとればとるほど上手くなるはずです。」

「つまり、五十歳と二十歳を比べてやっぱり知恵が違うし、経験者になるだけでその経験を表現出来るから、やっぱり上手くなるはずですね。」

「大いに希望があります。」

『サンキューベリーマッチ』(笑)「ありがとうございます。」

★『二つ質問があるんですけども、さっきから話が出てるセントルイスのタップダンスフェスティバルっていうのはどういうものなのか、ちょっと詳しく聞きたい、例えばプロが集まってやるのかとかアマチュアが皆参加するとか、朝から晩までやってるかとか、とにかく詳しい事を教えて頂きたい。それが一つ。それからもう一つはですね、タップダンス、フェスティバルの時は見られるんですけれども、普通の時にどこへ行ったら見られるか、例えばバレエだったらニューヨークシティバレエ団ってのに行けば見られるんですけど、どこへ行けばタップダンスが見られて、どういう所でそういうタップダンスをやってるのか教えて頂ければ。』「(ウィリアム)どこでって、アメリカの事ですか?」『アメリカです』

「タップは何先生がいいとか、この先生のクラスに出たから上手くなるというんじゃないんですね、というのは先生よりも自分の習う姿勢の方が進歩に繋がる、これ、二番目の質問ですけれども。ですから場所、特に特定とした場所がないわけです。」

「ある程度技術は磨けるんですけれども、高いレベルにはいかない。」

「遠回りに今質問に答えてますので。」

「何を習うにしても、例えば合気道とか音楽とか絵を描く、やっぱり基礎をまず見に付けるのと良い先生につかないといけないんですね。で、タップを見る事だったら、いろんなフェスティバルがあるんですけれども、そこでショーとかワークショップを必ずやってるんですが、もうピンからキリまであって本当に上手に選ばないとそんなに得るものが無い所もあるんです。」

「インターネットのウェブサイト幾つかありますけれども、タップのポータルサイトもありますしその中にたくさんのリンクがあるんです。州別に時間とか全部調べられます。その中でどこで何を誰がやってる、全て詳しく載っております。」

「ロバートさんもホームページ持っていますけれども、その中に他のリンクを通じてアメリカ国内のいろんなイベントの情報が見られます。」

「ロバートが自分のタップフェスティバルに先生を呼ぶ時の一つの基準が、やっぱりタップを愛し、直に先生と習いに来てる生徒達が完全にオープンに、例えばクラスが終わったらすぐ消えてどこか行っちゃうんじゃなくて、本当に、ホテルの中でやるんですけれども、ホテルのロビーに行って大先生がそれぞれのテーブルに座ってて、皆気軽に初心者でも気軽に一緒に座ったりコーヒーを飲んだりビール一緒に飲んだりして。」

「交流を高める為に、クラス以外にパネルディスカッションをやったり生バンドを呼んでタップジャムセッションをやったり、本当に皆さんが海外からけっこう来ますのでその交流を高める為のイベントが必ず含まれます。」

「タップは嬉しさで出来てるんですね。ちなみに去年のフェスティバルに日本から十五人行きましたけれども、今年ツアーを組んでおりますのでもっとたくさんの日本人と一緒に行きたいですね。」

★『ロバートさんがシューズ選びの時に気を付けていらっしゃる事を教えて下さい。それとなんか、やっぱりシューズでステップが変わってくるのかなとか思うんですけども、女性の場合ヒールのシューズがありますよね、そういう踵のシューズでは踊り方とかステップが違うのかなっていうのがちょっとあるんですけど。お願いします。』

「一人一人体型も体重も違いますけれども、やはり履き心地の良さ、それにバランスが一番大事です。彼が一人の靴のメーカー、一緒にタップシューズを作ってるんです、帰る前にどこで注文できるかを相談できる電話番号をかおる先生に教えますけれども。今いろんなシューズがありますよね、で、彼が非常に残念に思ってるのは、商売で誰かの名前を付けたとか他の所と違う何か特徴があってそれと履き心地とバランスを無視して、ただ商売の為にやってる所がたくさんあります。でも自分にぴったり合ったシューズは履いただけでぴたっとわかるはずですね。」

「あと、最後の質問一つくらいですね。」

★『タップのルーツを聞きましたけども、農園でドラムを取り上げられて、足でリズムで伝えるコミュニケートをとるといった時に、最初はどんなリズムでやったとお思いですか。あの、今たくさんいろんなステップがあるんで、受け継がれてはいるとは思うんですけども、その中で本当に一番最初どんな音を出してコミュニケートを取り合ったか、ちょっとロバートだったらどう思いますか。又、そのリズムが今も受け継がれているのかどうか知りたいですね。もう一つ出来ればアイリッシュダンスとの関連っていうかそれをどう考えてらっしゃるか、その二つです。』

ロバート、ステップを踏みながら

「最初非常にシンプルな例えば今ホップホップホップ、最初手を出してますよね、それがウィングでした。羽がついてるから。ワンサウンド、ひと音、一つの音で。それでボディスラップとか体を叩きながら簡単な少しヒールを入れたりしていると。中にその、それぞれの奴隷が住んでいる牧場の中のそれぞれのスレイブマスターが、じゃ、コンテストをやりましょうと。そういうコンペティションをやっていたそうです。」

「タップダンスとアイリッシュクロークダンシングは良くお互いに真似し合ってたという説があるんですけれども、実際はそれが違いまして一切関係ないんです。」

「ただ唯一共通点があるとすると、圧迫されてそれを撥ね返すツールの一つとして。タップもアイリッシュダンシングもそれが共通点です。」

「どの文化でも、長い人間の歴史の中に圧迫されて政治的にも経済的にも圧迫された人たちが最後に残るのは人間のスピリッツ、魂だけです。それでもって撥ね返す。」

「アイリッシュダンシングは今みたいにトリプル、三連の音、しかもトゥだけだったんです。最初は。」

「体をまっすぐにして、上体を全く動かさない、流れを重視して。」

「皆さん、リバーダンスご存知ですよね。日本にも何回も来てるんですが。リバーダンスに黒人のタップの部門がありますね。ロバートが半年ぐらいその主役をやってたんです。」

「ヘンリー・ルタン、タップダンサーでは有名な人、誰でも知ってるはずですけれども、グレゴリー・ハインズの先生でもあるし、タップっていう映画もありましたね、その振り付けはヘンリー・ルタンがやったし、リバーダンスの最初の振り付けをやったのはマイケル・フラットリー、ヘンリー・ルタンの弟子です。」

「洋服と一緒でタップ、やっぱりファッショントレンドがあるんですね。一時ブレイクダンシィングが流行りましたし、今セビオン・グローバーのスタイルも流行ってるし、アイリッシュダンシングも流行ってるし、それに合わせて皆スタジオも教えるし。」

「リバーダンスの中で使っているリズムが根本的にアフリカのスタイルです。」

「マイケル・フラットリーと話してマイケル・フラットリーも言ってます。」

★『(瀬川先生)素晴らしい今日、映画とレクチャーをして下さった事にまず感謝したいと思います。そして、ロバートさんがいらした時に初めに、日本にプリティガールがいっぱいいるって非常に喜んでおられましたね。(笑)今日本でもタップダンス習ってる人、圧倒的に女性が多いわけ、ジャズダンスもダンスもね。という事はこれからやっぱり女性からスターが出てくれないとね、困る。その意味で今ね、見せて頂いた中に女性のタッパーが一人もいなかったの、ちょっと私残念なんですけども、アメリカでも女性のね、ああいう所に出られるようなスターがいるんでしょうか。』

「昔はタップていうのは男が踊るアートフォンだった。女性はやらなかったそうです。」

「もちろん昔、素晴らしい女性のタップダンサー、一人いました、クロップ、エレノア・パウエルが…。」『白人はいっぱいいたんですよ』「黒人の?」

「もちろん昔から今でも素晴らしい女性のタップダンサーがたくさんいます。そういう映像もたくさん持っておりますが、非常に短い時間の中で今回初めてですので、もしかおる先生にもう一回日本に呼んで頂けるなら、この次は女性のタップダンスを。」

「それに有名な人とビル・ロビンソンさんのナショナルタップディに合わせてとか、そういうテーマで。」

★『(瀬川先生)ぜひねリードさん、又日本にいらして日本からね、なんとかシスターズとかね、そういうような女性のスターが出るように一つ振付けて、演出して下さい。』(拍手)

「イエス」

「(冨田)どうも有難うございました。」

「皆さんに非常に暖かく歓迎して頂いて、非常に感謝しております。本当に有難うございました。」(拍手)

「(冨田)盛大な拍手を!本当にどうも有難うございました。サンキューベリーマッチ。ではとても楽しかったんで、時間が過ぎるのがあっという間だったんで、予定よりもだいぶ時間が過ぎております。鍵が閉まってしまうという事なので、誠に名残惜しいんですけれども、お気を付けてお早めにお帰り下さい。本日はどうも有難うございました。」(拍手)