冨田かおるの独り言

 

東京リズム劇場

しばらくやっていなかった芝居を東京リズム劇場と言うシリーズの舞台でやるようになった。ずっと昔、私は役者だったしコントもやった。自分でプロデュースしたSHALL WE TAP?ではそれらの名残もだいぶあったけれど、今ではSOUND KISSのライブ以外ではトークも減ってきた。タップダンサー冨田かおるが確立されてきたけれど自分の中ではその安定が許せない感じもあった。そんな中で東京リズム劇場での10分前後の小芝居は自分のお楽しみになってきた。タップダンサーが集まって少し芝居をやる程度の軽いものだけど、大人の学芸会でいいといわれるけれど、凄く楽しくてウキウキと役作りをしている私です。 そして昔私を育ててくれた座長や演出家、講師の先生、大先輩から学んだことを思い出します。あの頃の言葉や情景が断片的に浮かんできます。中には昔はちゃんと真意がつかめていなかったものが、今思い出して理解が深くなったと言うのもあります。 そのひとつに、男性が主役の舞台で脇役的なときには自分の存在感を楽しみながら出せていたのに主役になったとたん空回りした経験があります。原因は『主役はもっと脇役に翻弄されろ』と言うことを理解していなかったのです。脇役にはしっかりとした役割があり勤めがある。しかし、主役はこころの動きをあらわにすることに勤めがある。主役がパツパツに動きも言い回しも予定通りにしてはその芝居はもう感動がなくなってしまう。主役は翻弄されるからドラマが成り立つ。私はこのことが分かるまで時間をかけすぎてしまった。 今はもう純粋な役者として舞台に立つことはなくなったけれどせっかくのチャンスだから遅ればせながら約10分間の主役を「翻弄される心の隙間」を大切にしながら演じています。 役者時代にお世話になった方々に感謝しています…『今頃分かったのか〜』と怒られちゃうかも…

楽しかった50円時代

プロフィールにもありますように芝居を勉強していました。と言うよりバリバリの役者をやっておりました。もちろん役者には付き物の貧乏生活を楽しんで(?)おりましたが、そのころの仲間達には現在テレビや舞台で活躍中の人物が結構います。皆頑張りやさんです。私も今でこそパソコンを買えるほどお金持ちになりましたが、当時は、みんなで1日50円ずつ出し合って納豆・野菜炒め(時々肉入り)・生卵というワンパターンの食事を稽古場で共にしていました。座長がお米を差し入れてくれたりして、今思うと人間くさ〜い青春時代です。どうも男性の中で活動することが多かったので生活はサバイバルでしたね。おかげでたくましくなりました。最近では外食して食べきれず残してしまうこともあり、この文章を書きながら改めて反省してしまいます。やはり初心を忘れちゃいけませんね。ものは大切にしましょう。

私の高層ビル

小学生のころたかーいたかーいビルを見て「あれは神様が創ってるんだ。」と思っていました。

中学生になって「あれは人間が作ってるけど特別な人が持っているんだ。スゴイナー。」と思っていました。

高校生になって「あのビルの持ち主は、私と何ら変わりのない人達だ。」と気づきました。

そう、可能性に気づいたのです。

 

私の初舞台

それは中野サンプラザ主催のロックミュージカル「ハムレット」に「コーラス・その他大勢」で出演したものでした。某都立高校に通いながらのリハーサルは心うきうき。中学時代からバンドを組みボーカルを担当していたものの独学状態の発声を自分でもきたないなぁーと感じました。岩崎弘美さん・桑名正博さん・金井克子さん・尾藤いさおさん・上条恒彦さん皆テレビで見た有名人ばかり、まるで夢の中にいるようで学校の勉強など手につきませんでした。特に本番中に楽屋裏にきた解散したてのキャンディーズを見かけた時は大ファンだっただけに気絶しそうでした。そんなミーハーな私の初舞台でしたが、終わってみたら「もっともっとやるべき事が有ったのに」「その他大勢でなく私は私としてもう一度舞台に立ちたい。」と闘志にも似た感情が湧いてきたように思います。その後、進学したり就職したりもしたのですが結局「元の鞘」に戻ったのでしょう。今では舞台の仕事で食べているのですから。人生ってわからないものですね。そう言えば、先日 小学校卒業時に書いた文集を見つけたら将来の夢「ダンサー」などと書いてあり驚きました。その頃は多分テレビで色々な洋服を来て出てくるダンサー達をうらやましく思っていただけだと思いますが、記憶に無かったのでゾッとしました。

 

今からじゃ遅い?

仕事柄沢山の方達とお会いし色々な質問をされますが、とても困ることの一つに「私○○才なんですけど、もう遅いですよね?」ときかれることがあります。内容はプロになりたい・タップを始めたい・就職したい等、色々です。そして多くは10代20代の方ばかり。私は本人次第だと思います。そして、極論を言えば90歳からだってプロを目指せると思っています。逆に言えばいくら若くても自分の年をもう遅いとか出遅れた等と思う人はやっぱりもう遅いのでしょう。これらの質問に対して何故困るかというと、この種の質問をする人達はとても依存心が強いからです。どうも私に判断してほしいらしいのです。はっきり「駄目」とか「大丈夫」とか言ってほしいらしいのです。さすがの私もこのような大役は受けることが出来ません。失敗したら彼らは私のせいにしてしまうのですから。もっと自分で考えて自分で行動し自分で責任の取れる生き方をしてほしいと感じています。          1997.9.19

 

広島八剣伝

1999年11月。行ってきました広島。広島の素晴らしいダンサーと12日間密度の濃いリハーサルをして最終日にはその成果を舞台に上げました。「大変だったでしょ」なんて皆聞いてきますが。大変なのは当たり前。そんなことは予想していましたし、たいしたことじゃない。言いたいのは「素晴らしかった」と言う事。この出会いは、この経験は、必ず宝になるでしょう。皆どうもありがとう。お疲れさま。ところでどうしてタイトルが「広島八剣伝」なのかって。いやいや、のん兵衛の私はやはり毎晩眠い高橋しん子を連れて飲み歩いていました。だいたい新しい店を転々として楽しむのですが。1件とってもはまってしまったのが「広島八剣伝」だったのです。串焼きがメインの居酒屋です。料理が美味しい上に従業員の方々の人情味溢れる笑顔に魅せられて、後半1週間は毎晩通ってしまいました。特に自己紹介もせず「東京から仕事できてるダンサーです」ぐらいしか言った覚えはないのですが、何と劇場に私としん子の名前が入ったお花が届き感激してしまいました。どうも東京のスタジオに電話をして確認してくれたそうです。いやー。もの凄く嬉しかったです。こんなの久しぶり。是非十日市の八剣伝に広島の方は行って下さい。オススメです。サザエの串焼き380円が特にオススメ。それにしても、広島では皆フレンドリーでした。路面電車に乗っていてもラーメン屋に入ってもいろんな方が気軽に声をかけてくれて話が出来ました。東京ではこんなことってないよなー。道は広いし川も山も有り、目にも優しかった。頭痛持の私なのにこの12日間は1度も頭痛にならなかった。広島大好き。

 

年を言わない理由

日本では年を聞くのが挨拶代わりのようですね。ある時初対面の人にまず年を聞く男性に「どうして真っ先に相手の年を聞くの?」と聞いたことがあります。すると彼は「相手が何歳なのかとか、どこの出身で既婚なのか独身なのか、そういうことが分からないと話ずらい」というのです。う〜ん。私が年の話をしないのはちょうどこの逆のような気がします。私は年だけでなく学歴やプライベートなことなどもあまり喋らない方です。特に初対面の人に年を言うのは嫌いです。1歳というのはただ1年生きたことですが、年を尋ねてくる人の多くは人生のものさしとして年をとらえている人が多いようです。だからたとえば「私は25歳です」と答えたなら。「え〜、見えないね〜」とか「うそ〜」と甲高い声で言われるか、もしくは「25にもなって・・・」「25のくせに・・・」などと勝手に評価されてしまいます。しかし、よく考えてください。1年の過ごし方は人夫々。同一人物でさえ一生の中同じ重みの1年を過ごすことなどありません。どうして人の人生を同じものさしで計れましょう。私は人と話をするとき、相手に私をしっかりと見て判断してほしいと思っています。良い悪いも好き嫌いも何もかも。私を見てどう思うのかに興味があります。だから話も弾みます。私自身が何を大切にして生きているのか。相手は何を求めて生きているのか。それが知りたい。だから極力私自身が必要と思わない尺度の情報を渡したくないのです。私が年を言わないことについて「自分の年に自信が無いんじゃない?」という人もいますが、逆なのです。自信を持っているから言わないのです。自分の積み上げてきた人生に自信があるからこそ説明しないで会話を楽しんでいます。1999年9月12日

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